京生まれ料理屋育ち3

京生まれ料理屋育ち
3
この頃、はりせは、かなりの忙しさで
父は少々の風邪なら無理して調理場に立つことも多く、その助けに朝田先生を良く頼っていた。
朝田先生の方も父の料理を楽しみにしてくれている有難いお客様のひとりでもあり、
僕のことは注射で泣く甘えたの末っ子として知ってくれていた。
父があらかた事情を説明したところ
朝田先生は間髪入れず一言目に
「なんでもっと早く言いにこんかったんや!!」
と温かく叱ってくれた。
色黒で大きめの顔に、優しい目だけどいつも険しい表情の先生
声はとっても低く野太く、相当な迫力だったろうと思う。
「今、日赤の脳外科部長が俺の後輩なんや
今すぐ連絡してやる、転院できるように手配してやれる、ただもう明日に手術が決まってるとなると、そちらの病院にもメンツがある。そう簡単には転院させてくれへんはずや。手術担当医師の手配から準備までしてるはずや。今、俺ができるのはここまでや、後はお前が頑張らなあかん。‥‥大変やぞ。」
念押しするように付け足された一言が
明日に父がやるべきことの大事さを物語っていた。
翌朝早速に父が転院させてほしいと希望を伝えた時の院長先生の返答は予想通りだった。
簡単な手術だし、なんの心配も要らない、
すぐ終わるし、手術の先生も夕方の手術に向けてこっちに向かってる、そんな、急に転院なんて、無理ですよ。
と、あしらわれた。
病院や担当医師の仕組みは良くわからないものの、
それまで僕を一度も診察したことのない医師が急に来て手術だけをして帰っていくこと、ずっと丸二日あんなに苦しみ続けている状態なのに簡単で心配ないと断言されたことで
父の語気に火がついた。

父は調理場ではいつも瞬間湯沸し器の如く、すぐにキレる。キレるという言葉はあまりいい表現ではないとは思うけれど、叱る、怒るという言葉よりはキレるが一番しっくりくる。すぐに語気を荒げ、動きを急かし、止められない想いをあちらこちらにぶつける。勿論皆、若い衆もそれを煙たがるし嫌がってはいる。それでも誰も逆らわない、仕方ないと思わされるのは
いつも、どんな時も、より一層の美味しさを追い求めていること、少しでも熱々の出来立てをいち早くお座敷に届けるという、お客様への想いが溢れてキレ始めるからだ。例えば
椀物に、吸地(お吸い物の出し汁)をはった時
直ぐに蓋を閉められなければ
「おいーっ!!蓋をせぇ~!!」とキレる。
勿論そうなることはわかってるから普通なら誰かが直ぐ側で蓋をしようと身構えている、
所がそのタイミングで電話なり他の急ぎの調理で蓋をするものがいなくなることもある。
そうなると調理場の誰かにでなく、皆にこの状況に気づいて直ぐ蓋をしに来い!と急かす。
今一番にやらなければいけないこと、
今急いでやらなければいけないことが出来たときに、これに気づいて直ぐに動かなければ
父は直ぐにキレる。
どんなに自分の仕事に追われてようと調理場全体にアンテナを張り巡らせて、緊急事態には、直ぐに駆けつける。
勿論この緊急事態とはお出しするお料理の質が落ちそうな時やお客様のニーズにいち早く応えなければいけない時で、その様子にいち早く気付き、的確に助けにいかなければならない。これが出来ることを気が走ると言う。父は料理をする上で大切なことを幾つも教えていくが、そのうちのとても大きなものにこの『気が走る』がある。
若い衆にも何度もこれを普段から言い聞かせている。
だからこそ、そのタイミングに蓋をしに来なければ誰にではなく
蓋をするものがいない現状に
鬼の如く顔を真っ赤に紅潮させ、
調理場の窓ガラスが震えそうな程の声で
「蓋をせぇ~!!」とキレる。
誰かに、ではないから怒る叱るというより
やはりキレるが相応しい。

あの日勿論直接その現場には立ち会っていないが、幾度も調理場での父の顔を声を見聞きしてきた僕にはわかる。どんな風に病院で父が切れてくれたのかを。